AIが当たり前になった今、「ブログはもう終わり」と言う人がいる。検索結果にはAI生成記事が溢れ、そのうちURL表示すらなくなるかもしれない。アフィリエイターやSEO業者には確かに厳しい時代だ。
でも、ちょっと待ってほしい。
CDが売れなくてもミュージシャンは音楽を作り続ける
80年代、90年代と比べて、現在のミュージシャンのCD売上は激減している。じゃあ創作活動しても無駄だと思って、みんな音楽をやめてしまったのか?
そんなことはない。ストリーミング、ライブ、ファンとの直接的なつながり—マネタイズの形は変わったけれど、「音楽を作りたい」「誰かに届けたい」という根本的な欲求は変わらない。むしろ新しい表現の場を見つけて、より自由に創作している人も多い。
ブログも同じだ。外的なマネタイズ手法は時代とともに変わるが、「書きたい」「伝えたい」という内発的動機を持つ人は、形を変えてでも続けていく。
Noteが証明した「書く居心地の良さ」の価値
Noteは、ブログが右肩下がりと言われた時代にローンチされた。それでも一定層から高い評価を受けているのは、有料記事機能があるからだろうか?
違う。多くの人が評価しているのは「発信すること、書くことに対する居心地の良さ」だ。
SEO対策やデザインカスタマイズ、アクセス解析—従来のブログプラットフォームは「書く」以外のことに気を取られがちだった。Noteは極限まで余計な機能を削ぎ落とし、純粋に「書きやすい」環境を作った。
結果、人々は再び「文章を書く喜び」を思い出した。思考を整理し、言葉にする行為そのものの価値を再発見した。
Facebookの年配層が教えてくれること
Facebookで長文を投稿している年配の方たちを見てほしい。彼らはいいねの数もエンゲージメント率も気にしていない。ただ純粋に「今日こんなことがあった」「これについてこう思う」ということを、知り合いに話しかけるような感覚で書いている。
そこにあるのは「誰かに聞いてもらいたい」「共感してもらえたら嬉しい」という素朴な動機だけ。だからこそ続けられるし、読んでいても妙に心地よい。
これが創作活動の原点だ。効率や効果を考えすぎて、私たちは「ただ話したい」「ただ書きたい」という純粋な欲求を見失ってはいないだろうか。
本質は変わらない—なぜ書くのか?
時代の変化はブログに限ったことではない。外的なマネタイズ手法は未来永劫続くわけではない。大切なのは、なぜ自分がブログを書くのかという根本的な動機と向き合うことだ。
お金のためなのか、承認欲求のためなのか、それとも純粋に誰かの役に立ちたいからなのか。誰かとつながりたいからなのか、自分の考えを整理したいからなのか。
外的な環境が変わっても揺らがない、自分なりの「書く理由」を見つけること。それがAI時代にブログを続ける唯一の条件だ。
創作の原点に立ち返る
AIが普及すればするほど、人間の「生の声」や「実体験」の価値は高まる。でもそれは戦略的に狙うものではなく、純粋に書き続けた結果として自然に生まれるものだ。
計算して作れるつながりなんて、本物ではない。まずは自分が純粋に「伝えたいこと」を発信し続けること。書く喜びそのものを大切にすること。
AI時代にこそ必要なのは、テクニックやノウハウではない。創作することの根本的な喜び、誰かとつながることの素朴な願い—そういった原点に立ち返ることなのかもしれない。